前回最後に、こども食堂に関わってこようと決意し、早速調理をしに行ってみました。
そこには、たくさんのボランティアの方がいらっしゃいました。男子高校生と主婦の方々。普段交流のない世代と話すことができて楽しく参加することができました。
春休み中ということもあり、私は小2の娘を連れて参加したのですが、温かく受け入れていただき、娘も料理をしておばあちゃん達に褒められ嬉しそうにお手伝いをしていました。
男子高校生に遊んでもらって、「また次も行く!」と、次もボランティアに参加しました。
こども食堂とは閉鎖的なものなのかと勝手な思い込みをしていました。こども食堂の話題が出るとメディアでは貧困層の話をセットでするので困ってる人達だけにするのだと思っていました。
実際に参加して思ったのは、来る子供は本当に困っている人達ばかりではない事。親子で来たり、遊びの延長で友達と来る子供達もいたりで、思っていた閉鎖的な暗い印象が全くありませんでした。
受け取る子供達も何の抵抗もなく、ただ喜んで受け取っている様子が、「平和でいいな」とその場の雰囲気に癒されました。
そして、子供は平等でいい!と改めて思いました。
どんな子供でも、何かしらで将来を担う事には変わらないし、その時が来たら面倒をみてもらう立場になっているのだから、子供を区別する必要はないですよね。
最近強く思うことがあります。
・子供には大人になる事を楽しみにしてほしい
・大人も楽しく生きてほしい
・未来のために命を懸けることはできても今の情勢では命を懸けることはできない。
私は、老後も若者に囲まれた生活を送りたいと思っています。
何故なら最期まで楽しみたいから。自分の子供に囲まれていたいわけではありません。その時代時代の子供たちからは周りの大人達がどんな風に見えるのか。ただ知りたいだけです。時代の移り変わりを肌で感じていたい。それだけです。
この数年で価値観が変わったというか、言葉で言い表せなかったことが少しずつ言葉で表せるようになった。というか…腑に落ちることが増えました。
人はいつか必ず死ぬので、常に現在を楽しんでいないともったいない!と考えるようになりました。
もし明日、いえ、数時間後に何もできなくなってしまっても、志半ばだったとしても「悔いなくその時を迎えたい。」と考えるようになってからは、物事の考え方が変わって楽しく思えることが増えました。
自分の目の前で起きている事が現実なのは確かです。それが悪いことなら回避する方法が必ずあるはずです。対処は早ければ早い方がいいでしょう。茹で蛙になる必要はありません。そうならないためには、どうするか。
私自身、あなた自身、自分のことは自分で決めることです。
どんな状況でも、仲間がいれば何とかなるものです。
仲良しこよしの関係性でなくても助け合いができる程度でいいと思います。そのためには普段から人との関わり方を考える必要があるかもしれません。敵意を向けてくる人に優しくできるほど私は良い人ではないし、器も小さいです。私はそれでいいと思っています。それが自分なので。他人の目を気にしなくなってからは、気が楽になり、気が合わない人と接しても笑えるようになりました。腹黒い人間です。穏やかな気持ちでいるためには腹黒さも必要です。
口に出して人に迷惑をかけなければ、思うのは自由なので。
食堂のおばあちゃんになりたい気持ちが日に日に強くなってきています。また次何をすればいいのか考えながらまた行動してみようと思います。